少年サッカーの話。
昨日は僕が教えている学年は休み。他の学年に次男がいるので、そのチームが参加する大会に応援に行ってきました。
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いろんな地域から様々なチームが来ていましたので、それぞれいろんな特徴を持っています。しかし、残念なのは、親や監督が大声で審判の判定についていろいろと言うチームがまだまだ存在しているということです。
選手の育成(プレーヤーとしてだけでなく少年として)という点で考えても、何か効果や意味があるとは思えません。
逆に、どんなジャッジがあったとしても、これからの人生においても自分の思うようにならない、時には理不尽な出来事に遭遇することもあるかもしれない。そんな時にどのように考え、どのように行動するかを教えたほうが意味があると思います。
そもそも審判がいてゲームが成立するものです。両チームが競い合い、真剣な戦いができるのは審判がいてくれるからです。よって、ベースにはそこに尊敬や感謝の気持ちがなければいけません。
また、実際に主審をして感じるのは、選手のプレーを常にジャッジしやすいポジションで見なければ正しい判断ができないということです。従って、応援している親やベンチの監督から見えるプレーの全体像と、最も見やすい位置できちっと選手の足や手、腰などの動きを見ている主審とでは、見えるものが異なります。
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昨日は、応援ついでに主審をさせて頂き、いろいろと勉強になりました。
また、いろんなチームを見て、チームの風土もいろんなパターンがありました。それらのカラー(風土)は、やはり普段のコーチの指導や言動の積み重ねなんだろうと思います。それから父兄の風土や父兄同士の関係なども影響していることでしょう。改めて、自分自身の責任の重さを感じたところです。少年を育成しているのですから。
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