先日、ある企業の役員数名が熱く議論するのを、朝の4時までお付き合いさせて頂きました。僕は当事者ではありませんので、ちょこっとちょこっと加わり、今の意見はこんな意味だったんですよね・・などとファシリテートするような参加の仕方。いや、僕も熱くなり、自分自身や自分達の会社を振り返る良い時間でした。
そして、これまた別の日には、ある人と僕で3時まで激論しました。これは僕は完全な当事者です。何度も激論している相手なので、激論が無駄にならぬよう激論の仕方が少しづつお互いに変ってきています。前回の激論はスタートはいつものような危険な状況でしたが、終わりのほうではお互いの意見(伝えたいこと)が少しは共有できたかなと思います。
基本的に激論好きなのかもしれませんが、僕が好きな激論のパターンは、『科学者の激論』です。科学者の激論は、感情は入らず、確認(証明)した事実を通じて、自分が考えていること、信じていることをお互いにぶつけ合うことだと思います。感情的しこりは残りません。
良くないパターンは、相手の言う内容を理解しようとせず、自分が言いたいこともめちゃくちゃになり、自分も反省、残るのは相手との感情の食い違いで単に沸騰しただけという結果。
これは好きではありません。
自分の意見が通ったかどうかが目的であれば、その人同士の激論にゴールはありません。話しているテーマについて、何か共有できることが確認できたり、何かの合意がゴールです。
議論はどうしても感情的にはなってしまうものですが、何のために議論しているかを忘れてはいけないと思います。社内でも時々言うのですが、ディスカッション慣れした組織でなければならず、そうなるには悪い意味での感情がですぎないようにしなければならないと思います。
しょっちゅう激論しているわけではありませんが、朝まで激論は久々にスキットしました。
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