最近の耳を疑うニュースや、またかと思うニュースについて、
タブーとしてあまり広げないほうがいいということもあるだろうという話です。
Monexの松本社長のブログで、タブーとは下記のように書かれています。
世の中にはタブーというものが存在します。三省堂の新明解国語辞典によると、タブーはその2つ目の意味として、「その事に言及するとよくないということが その社会や席で暗黙のうちに認められている事柄」とあります。最近よく聞くこれらの事件は、かつてはタブーとして表立って語られず、報道にもあまり乗らなかったのではないでしょうか?
そして更に、
情報は積極的に開示、流通するのが当代の流れです。しかしものによってはタブーとして隠すことも、人の知恵ではないかと思うことがあります。
僕もそう思います。
ある人が、その事例(事件など)を知らなければ起こさなかったであろう同じような事件というのが僕はあるような気がします。
何か意味のある、価値のある情報は入手したいと思います。また、情報はなるべく隠さず開示し、オープンな社会にならなければなりません。
しかし、またかとだけ思う情報で、かつそれが残念で悲しい出来事である場合、自分の心が悲しくなるだけではなく、なんとなく人を信用しないとか社会を嫌いになるという反応がじわじわ加速していくような気がします。もしかすると自分も同じ境遇だとまでステップアップして考えてしまう人もいるかもしれません。
そういう意味で、タブー化に知恵を使うのは賛成です。もちろんNewsは、気をつけましょうというワーニングだったり、社会がまずい方向に向かっていますよという警告の意味もありますので、何をタブーにするのか?ということについては難しい判断だと思います。
従って、今は自分自身で、この情報はタブー化して心も体も反応しないというスタンスも必要かもしれません。
「R25」で石田衣良さんも「知らなくていいこと」のような感じで記載していました。
今、良識のある方に同じような危機感があるんだなと思いました。
昔から猟奇的な事件はあったが、これほど情報社会ではなったので、一般の人が詳細を知ることはなかった。ニーチェの言葉を引用していて、「深淵を覗くものは、深淵にのぞかれる(?)」
「死体愛好」とか知らなくていいことはタブーにした方がいいのかも。
投稿情報: 淡麗 | 2007-06-04 21:39