卒業後、初めての中学の同窓会がありました。30年以上たっています。ずっと、早く開催されないかなと思っていたので、わくわくしながら行ってきました。
僕も含めて、皆の最初の挨拶は「お前は誰だ?」から始まります。胸に名前シールを付けて、卒業写真集のコピーを見ながら、あの人があいつで、あの人がこれかと昔の顔と今を結びつけながら、昔話や近況を語り合いました。
終わっていくつか気が付いたことがあります。
◆先生の記憶はすごい、それだけ生徒それぞれの人格を意識しながら接してくれていたという証拠ですね。
もう引退された先生からしたら、数えきれないほどの教え子がいるはずです。にも関わらず、この学年はこうだったとか、お前はこんなことしでかしたよな?とよく当時のことを覚えていらっしゃいます。記憶といいうのは心が動いていればいるほど残るものだと思うのですが、その意味で先生方は心を使って生徒ひとりひとりに接してくださっていたのだと思います。単に、教科書を説明するだけなら記憶には残らないでしょう。改めて感謝いたします。
◆時計はもどらない。過去は消せない。未来しかない。人生(あるいはその一つ一つの時間は)は一度ってこと。
やはり当時を思い出すと、胸がキュンキュンした出来事もありますし、人を気づ付けてしまったこともあります。また、無意味な意地の張り合いやそのための喧嘩もありました。もちろん仲間と大喜びしたり、目標に向かって頑張った思い出も。
その中で人を気づ付けたこととか、自分がやらかしたいまいちなことについて、今となれば反省をし申し訳なかったなと思うわけですが、今さらどんなにそれを考えてもそのことは消せません。それを消したくて何か行動をとったり、何かを伝えたとしても、そんなことで消せるわけでもなく、それこそ自分の今の自己満足でしかないわけです。
そう考えると、今から何をするかだし、どう行動するかしか残っていない。それ以外にやることはない。過去は消せないし、時計は戻らない。人生は一回で、その時々(今のこの瞬間も含めて)は一回しかなく、次の瞬間そこにはもう戻れない。
逆に何かに一生懸命取り組んだり、仲間と思いっきり楽しんだ思い出も捨てられないものです。しかし、それはその時に戻りたい場合と戻らなくてもいいと思う場合の二種類あるような気がします。その差は、今の違いかもしれません。今が充実していれば戻りたいとは思わず、アルバムの1ページとして大切にしておくことで十分です。
その意味でも、今が大事。これからが常に大事ってことでしょうか。
◆地元の準備をしてくれた人たちに感謝
同窓会は地元の人たちがやってくれないと開催できません。その地元の人たちは普段も顔を合わせることが多いはずなので、同窓会をしたいというニーズは、地元を出た人間よりも低いはずです。そういう人たちが地元を離れた人たちのために、いろんな準備をして開催してくれたということに感謝しています。
ありがとう。また、やりましょう。いや、またやってください。
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